日本の音楽評論家で活躍していた日暮泰文さん。
2024年5月30日75歳で亡くなったそうです。
日暮泰文さんは、ブルース・インターアクションズの創設者のようです。
どのような方なのか調べてみました。
日暮泰文の訃報
CD・レコード等の制作、ライブ企画運営、音楽出版事業を手掛けるP-VINE創業者の日暮泰文(ひぐらし・やすふみ)さんが5月30日に死去したことがわかった。75歳だった。 P-VINE公式サイトにて報告されたもので「弊社創業者:日暮泰文は、2024年5月30日(木)75歳にて永眠いたしました。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます」と訃報を伝えた。
Yahoo!ニュース
日暮泰文さんの死因については、公表されていませんでした。
日暮泰文のwikiプロフ
日暮泰文のwiki経歴
中高時代に米ポピュラー音楽
リズム&ブルースに心酔
ブルースの世界にハマっていったようです。
大学在学中の1968年に鈴木啓示とともに
ブルース&ソウル・ミュージック愛好家を設立
中村とうようによって、1968年に刊行された月刊誌『ニュー・ミュージック・マガジン』の
レギュラー・ライターとなる
日暮泰文の雑誌が全国誌に
ブルース愛好会の機関誌を発展させる形で
雑誌『ザ・ブルース』
を1970年に刊行、76年以降隔月刊全国誌になりました
日暮泰文の論争が話題
1971年に初来日したB.B.キングの評価をめぐる中村とうようとの論争が話題となったそうです。
1981年に誌名を
『ブラック・ミュージック・リヴュー』(bmr)
に変更し、90年代以降、
の雑誌を発行されています。
日暮泰文が世界にブルースを広める
未開拓だったブルースのマーケットを広げ、音楽の魅力を知らしめるべく、
トリオレコード(ケンウッドのレコード部門)を説得
1973年にシカゴのデルマーク・レコード原盤によるブルースのシリーズ発売にこぎつけ、ブルースがブーム化する。
1975年、高地明とともに
有限会社ブルース・インターアクションズを設立
代表取締役に就任。
翌年独立レーベルPヴァインから海外オーナーとのライセンス契約に基づくLPリリースを開始する。
独立レーベルが洋楽をライセンスの下に日本発売するという形を確立、そのパイオニアとなる。
その後、ブルース/ソウルからジャンルを広げ、
などをリリース。
約30年後には凡そ3,000タイトルのレコード、CD/DVDのカタログを持つ、世界レヴェルでも有数規模のレーベルに成長させる。
日暮泰文は家族がいて妻や子供とのほっこりエピソード
日暮泰文さんの家族を調べたところ
妻・伊史(いふみ)
がいらっしゃるようです。
子供の有無は、情報がありませんでした。
奥さんがいることから、お子さんだけではなく、お孫さんもいそうですよね。
家族とのエピソードは公表されていませんでしたが、自分の子供やお孫さんに音楽を聴かせながら生活していた姿が想像できますね。
まとめ
日暮泰文のwiki経歴プロフをまとめました。
日暮泰文さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ご覧いただきありがとうございます。
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